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2004.10.30

これで慣らされてしまうのはちょっとおかしい

 どうして今回はメディアの取り上げ方が大きくないのか。
 まず、このことがすごく引っかかっています。

イラクで香田さんとみられる遺体 政府確認急ぐ

 イラクで福岡県直方市の香田証生(こうだ・しょうせい)さん(24)が武装グループに拘束された事件で、政府は30日未明、香田さんとみられる遺体が見つかったことを明らかにした。イラクに駐留する米軍が29日午後(日本時間30日未明)、バグダッドの在イラク日本大使館に連絡した。イラク戦争に絡んでこれまで日本人は外交官2人、フリージャーナリスト2人が殺害されているが、香田さんと確認されれば、人質事件では初の犠牲者となる。

asahi.com : 社会より


 とうとう、こういう事態になってしまいました。
 わたしが一番嫌だと思うのは、今回の事件によって、「テロリストに人質をとられ、自衛隊撤退を要求される」→「要求を拒否する」→「人質が殺害される」という流れが当たり前のようになっていってしまうことです。
 その意味で、犠牲にあった香田さんには非常に申し訳ないのですが、それでもやはり、
「あまり同情の余地がない。行く方が悪い」
 と感じさせてしまった点は、残念ながらこれは非常にまずかったなあと思います。

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2004.10.27

木村剛氏の講演に行ってきました

 10月26日、新宿の紀伊国屋サザンシアターに木村剛氏の講演を聴きに行ってきました。
 「おカネの発想法」という新刊本と「フィナンシャル・ジャパン」という雑誌の創刊を記念したイベントで、講演のテーマもこれらの内容に沿ったものでした。
 個人の資産形成に関しての木村氏の考え方については、既刊の「投資戦略の発想法」に書かれていたことと一貫しており、「当たり前のことを当たり前にする」というもの。改めて非常に説得力があると感心しました。
 それからさらに感心したのは木村氏はスピーチがうまいなあ、と。
 そんなわけで無料講演だったのですが、わたしもまんまと本と雑誌を買わされてしまいました。
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2004.10.17

子供のココロ

  前回のコラムに、皆様から多数のコメント&トラックバックをいただきましてありがとうございました。

>しーなさん、おりびとさん、やすタロさん
 昨日、録画していたETVを見ました。
 やはり、深く胸を打たれました。

>小島さん

それは、人間を含め、どのような生物も、まず生まれるまでに競争があります。人間の場合、数万の精子から、やっと一人だけ生まれる。ウミガメも、数千個以上の産卵の結果、生き延びるのは一匹程度。

私が言いたいことは、自らの生命が誕生する前から競争が始まっているということです。そしてその競争を勝ち抜いた子供達が競争社会を初めて直面するのが、「社会人になってから」では、あまりにも遅すぎるということです。

様々な形態で構わないので、生まれた瞬間から社会人になる前に、大きな意味での「競争」、そして勝ち負けに関係なく、心に残る思い出を数多く体験できるシステムを教育界だけでなく、日本全体として、構築しなければならないと思っています。

 おっしゃりたいこと、良く分かります。
 わたしもたいへんに共感するところです。
 でも、注意しなければいけないのは、子供の心が繊細ですごく傷つきやすいということ。
 このことを前提にしなければいけない。分かってあげなければいけないということじゃないかと思います。

 そこで、今回は子供のココロのことをテーマとしました。

 思い起こせば、高校時代、わたしも不登校の少年でした。
 わたしは特に勉強をしなくても、小・中学校時代には成績は常にクラスの1位か2位で、高校もそのまま進学校へ入りました。
 しかし、いざ高校に入ってみるとわたしの成績は下から数えた方が早いという状況。今にして思うとこのことに傷ついていたのだと思うのです。
 こうして書いてしまうと何でもない話で、今、大人の立場から子供のわたしを見れば、
「だったら頑張れ」
「なぜ出来ない」
「出来なければお前は負け犬だ」
 そういうふうに叱咤したくもなると思います。
 でも、それをやられると子供の心というものはますます傷を深めていってしまう。そういう弱いところがあるわけです。
 わたしの場合、進学校だったので、周りにシンナーもなければ、大した不良というような仲間もいませんでした。
 せいぜい隠れてタバコを吸ったぐらいのことです。
 学校に対して強いコンプレックスを持ってしまったわたしには、学校に友達と呼べるほどの友達もなく、孤独でした。
 ただ、逃げる。朝、学校に向かうフリをして家を出て、街にいく。でも、遊ぶカネもなく、わたしの場合は、ひたすら自転車で遠くまで走るとか、電車で終点までの往復をひたすら繰り返すとか。
 今にして思えば、あのときまわりにドラッグがあったら…。あのときまわりに暴走族がいたら…。あるいは、親や教師にあのときよりももっと辛らつに責められていたら、もしかするとわたしもリストカッターになっていたかもしれません。
 自分の成績が順位付けされる。自分の成績が人よりも劣っている…。今、考えてみれば、たったそれだけのことです。
 でも、たったそれだけのことに子供の心は傷ついてしまうものなのだなあ、と。
 自分を振り返ってみると、つくづくそう思うのです。

 でも、だからといって、それで競争自体がいけないのだとすることはナンセンスだと思います。
 大人の心に余裕がないことがいけないんじゃないかと思うのです。
「お前はダメだ」
「そんなことでどうする」
 傷ついた子供たちにそういう攻撃を浴びせ続けるようなことが一番いけないんじゃないかと思うんです。
 だから、褒めてあげること。目標も持たせてあげること。その上で、目標に対して前向きに努力するということのすばらしさを教えてあげること。
 勝つことが目標だったとして。負けたときにも挑戦したことのすばらしさを教えればいい。

 負けたとき傷つくから、戦わせるのはよくない。これはナンセンス。
 負けた子供を責める。これはもっといけない。
 負けたときには、頑張ったことを褒めてあげればいい。そうすれば子供はもっと頑張るものだと思います。

 学校をサボっているとき、わたしは本屋によく行きました。
 勉強はしませんでしたが、本はものすごくたくさん読みました。
 映画もたくさん観ました。なけなしのカネでしたが、たぶん当時やっていた映画はほとんど観ていたと思います。
 自分で言うのもおかしな話ですが、ものすごく感受性が豊かで、色んなことを考えていました。
 例えば、地球環境や湾岸戦争を憂いていたし、社会やいろんなことに憤っていました。
 あのときのサボタージュを、いい意味で親は放置してくれたので、ドロップアウトせずに来られたんじゃないかと、親にはすごく感謝しています。
 そして、あのときのモラトリアムがあるから、今のわたしがある、と。
 大学時代には友達がたくさんでき、ただただ、遊びまくりました。
 それも、今思えば、ものすごく大事だったなあ、と。

 だから、思うのですが、このライン上で頑張れ。世に出ても競争の日々なのだから、負けたらダメだ。このラインから外れるな、と。
 人生に対して何ら明確な目標も持っていない子供に、そういうことを強要して、逃げ場をなくしていくようなことだけは、絶対にやめてほしい、と。
 そういうふうに、わたしは思います。

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2004.10.14

『夜回り先生』と日本社会のヒエラルキーのこと

 いつかはこのことをコラムに書かなくてはと思っていたのですが、テーマが重くて考えがまとまらず、なかなか手が付けられずにいました。
 『夜回り先生』のことです。

水曜プレミア 夜回り先生
2004年10月27日 よる21:00~

12年間夜の街を回り、5000人の生徒と向き合った「夜回り先生」。
なぜ子供たちは水谷先生にだけは心を開くのか?

 このドラマの主人公・水谷修は、教師生活のほとんどを少年少女の非行・薬物問題に捧げ、「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを行いながら、彼らの更正に尽力している実在の人物。水谷さんはもう12年以上も、夜回りをして5000人以上の子供たちの相談に乗ってきた。そこには学校にも家庭にも居場所を見出せない少年少女の叫びと哀しみがあった。単身で365日、少年少女の立ち直りのために全身全霊を傾ける一教師の同名ベストセラー原作をドラマ化。

 いよいよテレビドラマ化された『夜回り先生』が放映されることになりましたので、本を読んでいらっしゃらない方は(読まれた方も)ぜひ見ていただきたいと思います。

 夜回り先生こと水谷修先生は、社会の底辺においやられ傷ついた子供たちを命がけで守ろうと日々最前線で努力をされており、本当に掛け値なしで偉大な方だと思います。
 しかしながら、わたしはこの本に出会ってからずっと、「日本社会のヒエラルキー」ということを常に一歩引いたかたちで考えています。何故なら、ずるいかも知れないけれども、わたしは水谷先生の戦っている最前線にはいけない。ただ、自分の出来ること、小さなことかもしれないけれど、少なくともそれだけはしなければいけない、と。それは、わたしたちの社会のことを考えるということ、そしてそのことを発言することなのだと考えているからです。

 ヒエラルキーというのは階層ということです。
 わたしたちは普段、日本という社会は基本的には民主的で平等な社会なのだと思い込んでいます。少なくともわたしはそうでした。
 しかし、実際にはそうではない。厳然としてヒエラルキーが存在するのです。
 批判を承知で、偏った視点に基づくモデルを言ってしまいますと、例えば日雇い労働者の家庭があったとします。
 貧しく、生活が安定しない。母親に逃げられた父子家庭。父は酒や薬に溺れていて、子供に虐待をする。
 そういう環境で育った子供が果たしてまともに成長するわけもなく、社会を斜めに見るように育つ。学校にもろくに行かなければ勉強ができるはずはなく、シンナー、覚醒剤、ケンカ、犯罪。結局その子供が成長してもまともな定職に就くことはない、と。
 現代の日本の社会は自由競争社会ですから、決してそういう子供たちに門戸が開かれていないわけではありません。しかし、経済的な貧困だけならばともかく、精神的な貧困、退廃感というものは、実はこれはいかんともしがたかったりするわけです。

 かつての日本には立身出世というモデルがありました。
 たとえば、新千円札の肖像、野口英世は福島の極貧農家の出身です。苦学を重ねて偉業を果たし、世界的に有名な医師となった、正に立身出世の典型です。
 昭和の時代でも、例えば田中角栄という政治家はその評価がいろいろと分かれるところではありますが、いずれにしても大物政治家であったことは異論のないところだと思います。彼なども低学歴で農村出身から立身出世を果たしたケースです。

 もちろん、ヒエラルキーはいつの世にも存在していますし、野口英世の生きた明治や大正などの時代の方が、制度的にも厳しいヒエラルキーがあったわけで、その意味では現代の方がずっと民主的なわけです。
 しかし、現代社会が病んでいると思うのは、制度上許されていても、誰もがその階層を越えようと思わない虚無感や退廃感にあるのだと思います。
 その病巣は社会の根本にある。
 現時点でわたしが考えているのは、大きくわけて3つほどあります。

 1つは、教育の問題。
 つまり、戦後の高度成長期には通用していた、紋切り型の役人製造工場のような教育モデルが、まったく立ちゆかなくなってしまっているといことです。 
 その通用しなくなったモデルに乗っかった高学歴者だけが、ホワイトカラーとなり、出身校の偏差値でポスト分けがされるという役所の人事モデルというものが未だに幅を利かせていて、そこから漏れた者は永遠にブルーカラーだという仕組み。これが悪循環を生み出していると思えるのです。
 わたしは、今後の教育には、まず、「ものづくり」の復権、職人の復権というものがなければならないと考えています。
 多様な才能、多様な資質を認め、それぞれに専門性の高い人材を育成しようという教育がなされなければいけないだろうと。
 技師は技師として一流を目指せばいいし、経営者は経営者としてのスキルを磨けばいい。
 全員が、無難で広く浅い知識と適度な要領の良さを持った役人のような人材を目指す必要はまったくないわけで、そうでなければそいつは下層の人間だする枠組みを壊さなければいけないわけです。
 『13歳のハローワーク』という本が売れているというのにはたいへんな意味があると思います。
 わたしが13歳だったときには、こういう本はなく、自分の将来についてまったくビジョンを持っていませんでした。
 もちろん、若いうちに自分の進路を完全に決めてしまう必要はないわけで、いくらでも進路変更をしたり、やりなおしが出来る余地があるべきなのですが、それにしてもまったく何のビジョンもなく、ただ紋切り型の役人作りに根ざした学校教育という価値観にしがみつくか、そこから降りてブルーカラーとなるか、というような二者択一の選択肢しかないという環境はものすごく不幸なことだったように思います。

 もう1つは、精神風土の問題。
 人的交流、コミュニティの退化が、例えば、子供の虐待死などを放置させているということ。このへんの部分の歪みを、夜回り先生のような人が一身に背負っているのだと思います。
 そして、社会全体に行き渡る向上心や倫理観のようなもの。これは、1つ目の教育の問題でもありますが、こうした価値観をコミュニティとして共感していく仕組みがなくなってしまっているという不幸があると思います。
 例えば、野口英世の父は飲んだくれの人だったといいます。
 しかし、母のシカは父の分も働きづめ、英世を育て、学校に通わせた。また、恩師となる先生、小林栄や血脇守之助などとの出会いが、野口英世という不世出の偉人を作り上げたとも言えるわけです。
 すさんだ環境にはすさんだ精神が育つというわけでは、必ずしもないのだということをわたしたちは思いおこさなければならないと思います。

 最後の1つは、豊かさという問題です。
 これは、あまり頑張らなくてもそこそこ生きていけてしまうということです。
 だから、這い上がろうとか、立身出世とかというモチベーションが高まらない、と。

 と、まあ、あまりまとまった意見ではないと思いますが、そんな風にわたしは考えています。
 水谷先生が、本の中で述べられておられますが、
「子供は生まれてくる環境を選べない」
 と。
 例えば、長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件のような、心の闇に係わるものすごく難しく複雑な問題がありますが、被害女児も加害女児も、見方によっては同じく被害者であり、加害者はこうしたことの起こる社会自体を作った大人たちであるとも言えるわけです。
 わたしたち大人がより良い世作りをしなければいけない。
 その責任から逃れることは決して出来ないのだと、わたしは思います。

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2004.10.11

【実録奮戦記「ファイナンシャルプランナー」Part2】後手後手で仕上げる

 サラリーマンの学び舎との連動記事。 今回は、ファイナンシャルプランナーです。



 前々から受験すると決めていたわりには、実はほとんど準備は進んでいませんでした。
 試験が2週間後に差し迫ってから、ようやく問題集をはじめた程でして、余裕をかまして『経済のニュースがよくわかる本』などを読んだりしていたわりには後手後手になってしまいました。
 さて、問題集をやりだして、驚愕の事件が…!
 なんと、この手元にある問題集の版が1つ古いということが発覚したのです。
 買うものだけはやたらと早くから準備してしまっていたため、とんだ大失敗をやってしまっていたのでした。
 更には、テキストだと思っていた『パーフェクトFP技能士入門3級用』(以下、『入門』と表記)。この本だけは少しずつ読みすすめていたのですが、これに至っては版が古いというだけでなく、実はテキストですらなかったんです。
 実はこの本は参考書という位置付けで、本当のテキストは6分冊のやたらと大きな本で、『入門』はそのテキストのダイジェスト版みたいなものだったんです。
 そんなわけで、あわててテキストを購入しました。


 さて、テキストは揃えたものの、6冊全部に目を通している時間はありません。
 そこで、残された時間を基本的に問題集に専念することとし、分からないポイント、理解度の浅いポイントごとにテキストで知識を補充、復習していくというスタイルでいくことにしました。
 幸にして『入門』を一読していたおかげで、概論ではかなりの部分、理解できていましたので、問題集とテキストで各論部分をおさえていくと。
 このやり方が功を奏し、短期間にめきめきと実力をあげることができました。
 最後の仕上げは、過去問演習。
 3回分ぐらいをやってみて、ほぼ間違いなく合格点以上を出せるようになりました。

 さて、いよいよ9月5日。試験本番を迎えました。
 今回の問題は意外と簡単で、特に実技(個人資産相談業務)はかなり親切な出題でした。
 確かな手応えをもって帰宅。夕方に模範解答が金財ホームページで公開されるので、さっそく自己採点。


  • 学科試験 48点(60点満点)
  • 実技試験 14点(15点満点)

 自己採点は以上の通りです。
 学科、実技とも6割とれれば合格とのことなので、まず間違いないところだと思います。
 土壇場でバタバタになってしまいましたが、なんとか結果オーライという感じになりそうです。
 合格発表は10月20日の予定です。

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2004.10.10

日本の借金時計

 「週刊!木村剛」「日本の借金時計」というものが紹介されていました。
 これは、ニュースステーションなどテレビでもお馴染みの財部誠一氏の主催している経済政策シンクタンク「ハーベイロード・ジャパン」が運営しているもので、地方自治体を含めた日本の借金の総額を表示するものです。
 刻一刻と金利によって借金が増えつづけていく様は圧巻というか、凄まじいものがあります。
 しかも、世帯あたりに換算した金額も表示していて、なんとこれが1500万円近くもあるのです。

 わたしは仕事で、アパートの家賃滞納の回収業務をやったりすることがあるのですが、家賃滞納者とは1ヶ月目の滞納の時点で徹底的に協議して、支払いが出来ない人には基本的には速やかに退去してもらうようにしています。
 うっかりミスで家賃が遅れたなどという場合もちろん別ですが、基本的に家賃を滞納する人は生活のサイクルが破綻してしまっていることが多く、月の収入と支払のバランスが崩れてしまっているわけです。そういう人の場合、たとえ情に負けて何ヶ月か待ってあげたとしても、滞納分のお金を返すどころか新たな家賃の支払いもままならなくなり、結局滞納が溜まっていく一方で、最終的にとても処理のしようのない金額になってしまうことが非常に多いのです。
 家賃が払えなくなるということは、当然、他にも借金もあるでしょうし、そういう人はいわゆる街金など高金利のところから借りていたりすることも多いわけで、一旦そういう状態になってしまうということは、もうどんどん負のサイクルに陥ってしまうしかないわけです。
 そこで、わたしの場合、1ヶ月目の滞納の時点で、まず退去してもらうよう説得します。安い家賃のところに移るなり、実家に居候するなりして、とにかく傷の浅いうちに、現状の家賃負担を軽減してあげることが、その人のためでもあるとわたしは考えています。

 さて、今の日本の財政はどうでしょうか。
 やっぱり借金を返すどころか、その年の予算の4割ぐらいの部分を新たな借金で賄っているという状況で、こういうことをもう何年もずっと繰り返していて、ついには借金が700兆円にも膨れ上がっているわけです。
 この状況は典型的な家賃滞納者より酷いと言えると思います。
 政府は、2010年代初頭にプライマリーバランスを回復させるという目標を掲げていますが、なんとも生ぬるいし、しかもその目標を果たすつもりが本当にあるのかどうかすらも疑わしい。
 しかし、これはヒトゴトではなく、紛れもなくわたしたち日本国民の借金なのです。わたしたちが、わたしたちの子供たちが背負っていかなければいけない借金なのです。
 すでにそれが、世帯あたりで1500万円近くになっているという現実。このことに目をそらしていてはいけない。
 その場しのぎで今の放蕩をつづけて、子孫にそのツケを回そうしているという現実を直視しなければいけない、という意図が「借金時計」にはあるのだと思います。

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2004.10.05

日経ナノテク・ビジネスフェア

 9月29日、日経ナノテク・ビジネスフェアに行ってきました。
 会場はお台場、東京ビッグサイト。久しぶりに水上バスに乗って、走る水面から東京の街を眺める爽快感を満喫しようかと思っていたのですが、あいにくと天気は雨。仕方なくりんかい線で行きました。
 業界向けのナノテク見本市で、畑違いの私はものすごく場違いだったのですが、完全に興味本位で行ってしまいました。
 フラーレン製造のトップメーカー、フロンティアカーボン社の友納社長の公演を聞き、メーカー、研究機関など一通りブースを回ってきました。
 文系人間のわたしには分からないことだらけでしたが、最先端の技術に触れて非常におもしろかったです。
 各ブースでたくさんカタログやら資料やらをたくさんもらってきたので、これからしばらくはこれらを解読していく日々になりそうです。
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